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城願寺(じょうがんじ)は、愛媛県大洲市にある臨済宗妙心寺派の寺院。大洲城初代城主 宇都宮豊房公の菩提寺。創建は鎌倉末期、元弘元年(1331)。本尊は、釈迦牟尼仏像・達磨大師像(禅宗開祖)・聖徳太子像。山号は徳雲山。 ==歴史== 藤原鎌足の末えいにあたり、下野国(現在の栃木県宇都宮市)に住していた豪族、従四位下宇都宮豊房(うつのみや とよふさ)が、鎌倉幕府の北条氏から1330年(元徳2年)伊予国の守護職に任ぜられ、翌年大洲に入り、地蔵ヶ嶽城(現在の大洲城)を造営して初代城主になった。豊房は地蔵ヶ嶽城築城の時、城の鬼門に当たる大津(現在の大洲)の五郎村(元 市川郷)に、その城の堅固なことを祈願して「城を願う寺」として城願寺と命名、1331年(元弘元年)に建立し、宇都宮家の菩提寺とした。 豊房は1369年(正平24年)8月18日、享年77で死去、城願寺に葬られた。戒名は城願寺殿継將萬真大居士。その戒名から、当初より臨済宗であったことが推測されている。その墓である五輪塔の一部が、現在も境内に祀られている。 寺はその後、長宗我部元親の侵攻に遭い、本堂に火が放たれ、石塔はことごとく破壊された。以後しばらくの間、城願寺の建物はすっかり荒廃をしていたが、約400年前に馬木弥左衛門(うまき やざえもん)という人が現れ、自分の全財産を一寄進し、城願寺の伽藍を見事に復興した。弥左衛門は寛永元年3月1日に死去したが、城願寺では徳雲院梅林道春禅定門と位牌に刻み、その徳を讃仰し供養している。五郎地区の馬木組の山林には弥左衛門の五輪塔があって、現在も近隣の人々により今も大切に祀られている。 寛文年間(1661~1673)に大禅寺の封山祖定禅師(ほうざんそじょうぜんじ)を勧請し、中興開山としてこの寺を再興し、以後臨済宗妙心寺派に属して今日に至る。 城願寺は過去に度重なる火災や水害に遭遇し、古い記録や什器はほとんど残っていないが、境内には樹齢350年(寛文年間)の老梅がたたずんでおり、この梅の木の西側には天明年間の火災の跡が残っている。 城願寺の大般若祈とう会(毎年1月20日開催)には、大般若経箱を各地区にまわし、人々がその経箱の下をくぐって除厄を祈る風習がある。1989年(平成元年)本堂・庫裡・山門を一新した。また境内には地蔵苑があり、夥しい数の地蔵群が祀られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「城願寺 (大洲市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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